Archive for 9月, 2010


ゲゲゲの街

とうとう「ゲゲゲの女房」今日で最終回を迎えてしまいました。
久しぶりにほぼ全話見た朝ドラでしたね。こんなにハマったのは初めてかも
しれません。私はあの有名な「おしん」でさえロクに見ていないのですから。(笑)
戦前、戦後から昭和高度経済成長期を舞台にヒロインを描くのは朝ドラの一つの王道で
これもその一つでしたが、今回は水木しげるという非常に親近感の沸く漫画家の奥さんの
一代記だったのが興味を引いた要因でしょう。
昭和の漫画史といえば今までメディアに多く取り上げられていたのは手塚治虫、
藤子不二雄など「トキワ荘」を中心にしたものでした。
「ゲゲゲ~」はもう一つの漫画の昭和史を描いていて興味深かったです。
ドラマに登場したアシスタントの方々もモデルが池上遼一、つげ義春、
古川益三(まんだらけの創始者の1人、現社長、ドラマでは独立はしていないので
違うと思いますが、アシスタントとしては絵が下手だった)など。
出版社も名前は変えられていますが講談社、ガロなどなじみのある会社が
登場します。「悪魔くん」を制作した城西映画は明らかに東映ですし。(笑)
風間トオル扮するプロデューサー船山信義役は東映の元副社長・渡邊亮徳氏
がモデルと言われています。実際に「悪魔くん」を手がけたのは平山亨氏ですので
二人を足したキャラクターですかね。平山さんは続けて「河童の三平」も制作し
後に「仮面ライダー」や「ゴレンジャー」も担当されて現在も活躍中?の東映特撮
ヒーロー番組原作者・八手三郎の本人と言われています。
しかし「ゲゲゲ~」ドラマ中で「悪魔くん」オープニングシーンを久しぶりに見て
懐かしかったです。これを機会にNHK・BSで「悪魔くん」全話放送してくれないかな。(笑)
 
余談ですが悪魔くんの「ペロリゴン」って妖怪というよりほとんど怪獣でした。
製作当時、怪獣ブームだったのでその影響でしょうね。
 
 もう数ヶ月前ですが話題の調布市天神通り商店街に行ってきました。
調布市には時々、行くことがあったのですが天神通り商店街を訪れたのは初めてです。
水木しげるの水木プロダクションがこの商店街入り口近くのマンションの中にあるのが
縁で、この商店街にはゲゲゲの鬼太郎のキャラクターたちが設置されています。
どちらかというとひっそりとした商店街です。現在は調布駅のメイン商店街ではありません
が調布駅北側にある布多天神の門前商店街として歴史のある商店街です。
 
 
 
 こちらは数年前に訪れた鬼太郎茶屋の記事です。↓
食べログのレビュー↓
深大寺写真アルバム↓
東京スカイツリー定点観測所・観測員からのレポートです。(笑)
東京スカイツリーが高さ470mに達しました。
実はスカイツリーの高さは建築物としては全高470.97mでここから上は建築基準法上、
工作物としての扱いになるのだそうです。
ということでそろそろタワー本体の工事は終盤に差し掛かってきたでしょうか。
第二展望台は450mからなので第二展望台は現在のタワー先端部から下を
囲むような形で設置されるようです。
 
↓はもはや全国的に有名なさかさスカイツリーです。
 
 
この角度だと工事の進捗が分かりません。
 
展望台外壁パネルに覆われていたブルーのネットが外されシルバーの外壁が剥き出しに
なりました。
 
ネットの話題が出たところで作業用ネットの薀蓄です。(笑)
スカイツリーのネットは何故ブルーかというと、これは本来、落下物防止用に水平に
張られる最強強度のネットがブルーなのだからだそうです。通常、建築中のビルなどを
囲う垂直ネットはシルバーなのですが、スカイツリーは高度が高いため強風にさらされる
事を想定して最強強度の水平ネットを垂直に使用しているのだそうです。
 
展望台を違う角度から撮影。展望台の床部分にルックダウンウィンドウらしきものが
見えています。
 
上の画像を拡大してみました。やはりルックダウンウィンドウのようです。
東京タワーの展望台位置は地上から120m。東京スカイツリーのそれは350mですので
恐怖感は3倍か?(笑)
 
建設が着々と進む東京スカイツリー。現在、高さは461mに到達。
ついに展望台の外壁パネルが貼られ始めました。
 
 
早くも周辺地域が観光地化しているのはニュースやネットの情報でも
語りつくされ今さら言うまでもないですが、果たして2012年のオープン
以降はどうなるのか。観光客が押し寄せ、展望台入場者の行列2~3時間
待ちになるのは必至でしょうね。
スカイツリーの周辺は当然の事ですが、恐らく浅草もかなりの経済波及
効果があるかと推測されます。事実、すでに外人観光客は年間2000万人
も訪れているそうです。
 
 
現在、浅草は伝統的な下町の観光地としてイメージが定着していますが
江戸、明治、大正時代は観光客が津波のように押し寄せる東京随一の
大規模な観光地だったそうです。
明治時代には当時、日本で最高の高層ビル、12階建ての「凌雲閣」が完成、
日本初のエレベーターも備えていたため凌雲閣は大人気を博しました。
現在の東京スカイツリー人気がオーバーラップしてくる話です。
浅草が時代の最先端を追求していたのは明治時代からの伝統なのですね。
 
私の母親は戦前の銀座生まれで小学校に入る前に上野に引越し浅草へは
時々、遊びに行っていたそうですが、当時の浅草は観光客が大勢押しかけ、
周辺道路では人を避けないと歩けないほど混雑していたそうです。
 
 
 
浅草・凌雲閣
 
↑は浅草の高層ビル凌雲閣の画像。
実は江戸東京博物館の展示ミニチュアですが・・・。
7~8年前に館内にてデジカメで撮影した画像です。 
明治23年10月に竣工した12階建ての高層ビル「凌雲閣」は
当時、日本では最も高いビルで、日本最初のエレベーターが取り付け
られ大人気を博した建物だったそうです。残念ながら関東大震災で
上層階に大きな被害を受け、危険だと言う理由で 完全に爆破されて
しまいました。確か江戸東京博物館の展示ブースで当時のニュース
映画の 爆破シーンが上映されていたと記憶しております。
その後、江戸東京博物館には何回か見物に行ったのですが、
運悪く「凌雲閣」のコーナーは改装中で見られませんでした。
 
 
↑が江戸東京博物館の内部改装中の画像です。
 
1986年まで田原町に仁丹塔という仁丹の広告塔が建っていたのですが
それが凌雲閣の復刻だったそうです。私は一回だけ見たことがあります。
仕事で打ち合わせにきて通りすがりにちらっと見たのですが、
その時は古臭い建物が建っている、ぐらいにしか印象にありませんでした。
老朽化して取り壊されてからそのことを知り写真を撮らなかった事を後悔しました。
 
青梅の昭和レトロ商品博物館の別館、昭和幻燈館にも凌雲閣の
ミニチュアが展示されていました。

東京タワー

これも一ヶ月以上前の話題です。古い話が続いて恐縮ですがご容赦を。
19年ぶりに東京タワーに登ってきました。
 しかし、最近、スカイツリーを見慣れた目には東京タワーが意外に小さく
見えます。あれ?こんなもんだったっけ?という感じです。
 
 
東京タワーのすぐ近くや、タワー足元のビル、フットタウンには時々行くのですが
展望台に登ったのは19年ぶりです。最近は映画やTVの効果で東京タワーの人気が高く
いつ行っても展望台エレベーター入場待ちで長蛇の列なのですが、この日は
なぜか、土曜日だったのに空いており、チャンスとばかり登ってしまったのでした。
しかし特別展望台は最長80分待ち、仕方ないので大展望台だけで我慢しました。
大展望台は高さ150m。超高層ビルが林立している現代においては、特別な
高さではありません。いや東京タワー展望台より高いビルはかなりの数、
存在します。しかし、これだけ四方の眺望が楽しめる展望台はないでしょう。
最近はライバル、東京スカイツリーも人気のビューポイントの一つになっており、
スカイツリーを見つけたお客さんは指を刺しながら口々に「あ、東京スカイツリーだ」
とはしゃいでいます。
 東京タワーから見た東京スカイツリー。望遠ズームでの撮影ですので肉眼では
これほど大きくは見えません。↓
 
 ザ・プリンスパークタワー 、ここの最上階のラウンジ、ステラガーデンから見た
東京タワーの景色も絶景です。もう3回ほど行きました。
(地下バンケットルームは広くて天井高があるので最近、市川海老蔵の結婚式や
民主党代表選などで使われています。)
 
お台場レインボーブリッジ
 
六本木ヒルズと東京ミッドタウンの間に夕日が沈んでいきます。
 
 
夜景も素晴らしいですね。
 
ルックダウンウィンドウから見たタワーの真下。夜景だったせいかあまり
恐怖感は感じませんでした。でも凄い景色です。
 
タワー真下から撮影した大展望台の拡大画像。ルックダウンウィンドウが見えています。
 
この時のライトアップは「ダイヤモンドヴェール」でした。

赤塚不二夫生誕75周年

9月14日は赤塚不二夫の誕生日だったのですね。
今年で生誕75年周年だそうで、Googleのロゴが天才バカボンになってました。
 
二年前に青梅の赤塚不二夫会館に行った時の記事です。↓
過去の記事に載せていない画像がかなりありました。
ひょっとすると撮影禁止だったかもしれませんが、載せちゃいます。(笑)
 
 
 
 

 
ちょっと前の体験談です。
環八を走行中での出来事。用賀から瀬田交差点へ差し掛かった時、私は4車線ある
内の左から2番目の走行車線を走行していました。一番左は左折車線、一番右は
右折車線、中央の2車線が直進用走行車線で、その中央の左側を走っていたのです。
 
 
前方の交差点を見ると右折車線に大型トラックが右折待ちで停車していました。
私の右前方にいた隣の走行車線の車たちはほとんど影響は受けずに直進。
ところがその後ろからぐんぐんと迫ってきた大型バスが私の車の横に並びます。
その時にちょうど交差点直前にさしかかりバスは右折車線に停車していた大型トラック
を避けるように左に寄ってきたのです。車線をはみ出し私の車にぶつかる寸前に
慌てて私がハンドルを左に切って避けました。なんと無謀な運転をするバスだろう、と
大いに憤慨したのでバス会社を確認しようとしたら、真っ白なボディで何もペイントされて
いません。ひょっとするとバスメーカーから観光バス会社に納車する陸送の途中かと
思いました。それなら無謀運転もありえるかもしれません。営業運転中ならあのような
運転はしないはずでしょう。いや、でもメーカーで塗装するから、白ボディでは納車しない
か、と別な疑問が湧き起こってきましたが、追い抜いていかれた時に見えたナンバー
プレートが変でした。瞬時にカメラで撮影して後で確認してみたら、U.S.GOVERNMENT
N91 06531 NAVY FOR OFFICIAL USE ONLYと書かれていました。
つまりアメリカ合衆国政府 海軍公用車ということ? 強引な運転なのも頷けますね。
米軍基地の周辺住民の方々の気持ちが分かるような気がしました。
 
 
 
少し古い話題ですが、由比ヶ浜にこの夏、7月から8月の期間限定で誕生したカフェ
「カーグラフィックカフェ」に行ってきました。
既に8月31日で営業終了してしまい読まれても参考にはなりませんが、ご容赦を。
店名で分かる方も多いと思いますが、自動車専門誌「カーグラフィック」との
提携で生まれたカフェです。やや期待して訪れたのですが、ところが行ってみて、がっかり。
カフェではなく海の家でした。由比ヶ浜の海水浴場の中にある海の家の改装なのです。
CG(カーグラフィック)のロゴが貼ってあって店内にカーグラフィックのバックナンバーが
ちょっと置いてあるだけのお粗末な店でした。カーグラフィック8月号にこのカフェの広告が
掲載され、それによると車好きのための語り合う空間を提供したいとのコンセプトでしたが
実際には海水浴客が出たり入ったりして落ち着かないです。しかも潮風に吹かれ暑いし
料理も不味いのです。広告を良く読み返してみたら海の家と書いてありましたが、まさか
正真正銘の海の家とは思いませんでした。(苦笑)
しかし、このコンセプトを生かしたいのなら、涼しい高原で営業した方が良かったのでは。
海辺でやるのならせめてマリーナとか港町の中のカフェとか。まあ運営経費やコストの
問題もあるのでしょうが・・・。
CGのイメージとはまったく合っていなかったですよ。たまたま私が行った日がそのような
雰囲気だっただけかもしれませんが・・・。
 
ところでカーグラフィックは出版元の二玄社が経営不振のため、廃刊の危機を避けるべく
編集部を(株)カーグラフィックとして分社化、独立しましたが果たして存亡の危機は
回避できたのでしょうか。姉妹誌NAVIもすでに廃刊、他出版社ではカースタイリングも
廃刊、出版不況は想像を絶するものがありそうです。
家の近所の本屋はカーグラの仕入れを減らしたのか発行日の3日後には売り切れている
事があります。毎月1日(発行日)の夜9時ごろだと2冊しかない事も。
これは売れ行き好調、というわけではないですね。
 
 
 

 
 
 
 
由比ヶ浜 最近の海の家はモダンなものもありますね。