江戸東京博物館にてゴールデンウィーク中に東京スカイツリー完成記念特別展「ザ・タワー~都市と塔のものがたり~」

が開催されました。この展覧会では19世紀~20世紀にかけてパリ・東京・大阪に生まれた塔を中心にさまざまな

都市と塔のものがたりを貴重な資料により紹介していました。「塔」という言葉はサンスクリット語のストゥーパ

が語源だそうです。もともとは仏舎利(釈迦の遺骨)を収める墓でしたが、漢訳されて卒塔婆になり、更に略されて塔に

変化し墓の形も三重塔、五重塔に変化していきました。ただし日本では卒塔婆は墓の供養塔の名前になっています。

展示コーナーの多くはパリのエッフェル塔にスペースを割いていました。初期のアイデアスケッチやプロセス、模型など

が展示されていましたがコンペでの対抗作「太陽の塔」の模型も展示されていました。設計者はジュール・ブルデで

「ブルデの太陽の塔」と呼ばれているそうです。太陽の塔と言えば大阪万博の岡本太郎の太陽の塔が有名ですが

パリ万博の記念建築、エッフェル塔の対抗作が「太陽の塔」だったとは、この展示で初めて知りました。

写真撮影は禁止だったので画像はありませんが、鉄塔のタワーではなく石造りの灯台のような塔でした。高さは370m。

結局、技術的に難しいという事でギュスターブ・エッフェルの設計した鉄塔案が採用されたのでした。更に驚かされた

のが1900年の二度目のパリ万博の際、エッフェル塔改装計画があったそうです。万博会場のレイアウトやコンセプトに

よってはエッフェル塔の解体も考えられていたそうですが改装案も検討されていたのでした。その改装案もかなりの

数が提案され、そのアイデアスケッチや図面も展示されていました。第一展望台へのエレベーターが脚に沿って斜めに

登っていくタイプではなく垂直のエレベータ用鉄塔を建て垂直に上下して展望台へは渡り廊下を渡っていく構造のもの。

中には張りぼての山で覆う案や寺院のような塔で覆う案などエッフェル塔を完全に隠してしまう驚きの案もありました。

結果、エッフェル塔は解体も、改装もなく、そのままの姿で残されたのでした。正しい判断だったと思います。

東京タワーや大阪の通天閣の展示もあり、二つのタワーの紹介や建設中の画像や風景も展示されていました。

意外だったのは現在の通天閣は2代目で、初代は1903年の竣工。パリのエッフェル塔と凱旋門を合体させたような

デザインでしたが戦中に近隣の建物の火事の影響で鉄骨の強度が不足となり解体されてしまったそうです。

現在の通天閣は1957年、東京タワーが完成する前の年に竣工したのだそうです。もっと古臭いデザインに

感じます。初代のイメージも残してあえて時代を感じさせるデザインにしているのでしょうか・・・。

以上「ザ・タワー~都市と塔のものがたり~」は特別展でしたが常設展にも特別展示がありました。

「太陽の塔 黄金の顔」の展示です。1970年大阪万博の会期中、太陽の塔に取り付けられていた実物の黄金の顔の

展示です。私は1970年の大阪万博を見に行きましたので、実に42年ぶりの再会ですね。部分的に腐食していたので

あまり綺麗ではありませんが貴重な展示だと思います。しかし、こんなに大きかったのか、とあらためて思いました。

1970年大阪万博当時の撮影。父親の撮影したフィルムのスキャンです。

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